第01回 岩瀬 大輔氏 vol.1 (2)

第01回 岩瀬 大輔氏 vol.1 (2)

「生き方」の選択基準。

出口氏(ライフネット生命保険社長)が、谷家衛氏(あすかアセットマネジメント)と出会い、起業を決意したのが2006年3月。翌4月、谷家氏を介し、岩瀬氏が出口氏と知り合い、出口氏の「ネット専業の生命保険会社」構想に賛同。岩瀬氏の高校、大学の先輩にあたるマネックス証券の松本大氏に事業計画をプレゼンしたのが8月。そして10月23日、ネット専業生命保険の設立準備会社「ネットライフ企画株式会社」が設立された。因みに、2006年という年は、いわゆる「ホリエモン事件」が起こり、ベンチャー企業に対する強烈な逆風が吹き始めた年である。

HBSを「ベイカー・スカラー」として卒業した岩瀬氏であるが、学生時代の彼は、意外にも、その先の人生に対する明確なイメージは持っていなかったそうだ。弁護士を志した理由は、国際的な英語を使う仕事(父親の仕事の関係で、幼少期を英国で過ごしている)をしたかったということと、生涯現役でいたい(自分の意思で現役を続けられる)ということだったという。

それにも係わらず、彼は何故、弁護士という道に進まず、今の「生き方」を選んだのか?
「超」頭脳明晰ということを除けば、岩瀬氏はある意味、どこにでもいそうな学生だったのだろう。しかし、BCG、ICG、リップルウッドのいずれにおいても、彼の職業選択には共通する3つの要素がある。

写真:岩瀬 大輔 氏

BCGでは、今日は何をしたか?ということを自分自身に厳しく問うというか、プロフェッショナルとしての倫理観を学びました。

「魅力的な仲間」。「社会的意義」。そして「自分にしかできないこと」。
その3つが、自分がするべき仕事か、自分がいるべき組織かを選ぶ上で、彼にとって最も重要な「条件」であることが、インタビューを通じてよく理解できた。

また、彼は90分に及ぶインタビューの中で幾度となく、「ニッチ」という言葉を発した。彼にとって「ニッチ」という言葉の定義は、「まだ、日本社会ではメジャーになっていないものの、いずれ時間の問題で『メジャー』になる」という概念が含まれている。

BCGへの就職を決めた時のことを、こんなふうに語っている。

「日本では僕の時、同期入社は3人だったんですよ。今ほど人気もなくて、ちょっとニッチだけど、本当はニッチではなくて(アメリカでは既にメジャーだった)、でも、自分だけは知っている。自分だけが知っているその価値。そんな満足感があったんですよ」。