ドリームビジョン創業記念トークセッション (1)

ドリームビジョン創業記念トークセッション (1)

皆さん、こんにちは、ドリームビジョンの平石でございます。 本日は、お忙しいところお集まりいただきまして、ありがとうございます。 今、ご紹介いただいたとおり、「自分らしい生き方」をテーマに、今回のセッションを開催させていただいたのですが、最初に簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。 今回の会社は、私にとっては、3度目の起業にあたる会社です。 1度目は、1991年の3月、私が27歳の時、当時は起業といわず、独立と言ったのですけれども、初めて会社をつくりました。 その会社は丸9年経営していまして、最初の3年はリサーチ&コンサルティングを、その後3年は、DTP(デスクトップパブリッシング)という、当時流行っていた事業をやっていました。

写真:平石 郁生

最後の3年間は、ある総合商社の新規事業開発のお手伝いや自らネットビジネスのインキュベーションを行うようになりました。その延長線上で2000年の3 月、2度目の起業にあたる、インタースコープという、インターネットリサーチの会社を立ち上げることになりました。

当時は、インターネットリサーチという市場はまったくなかった状態だったのですが、幸いにもインターネットが社会に急速に浸透して行って、私たちの立ち上げたインタースコープもインターネットリサーチ御三家の一社として数えられるようになり、パートタイムを含めると100人を超える規模に成長することができました。

しかし、私は考えるところがありまして、今年の3月にそのインタースコープを退任いたしました。

その理由は2つです。

1つは、インタースコープを6年やってきた中で、やり残したことがあったということ。
それがずっと僕の頭の片隅にあったんです。それをやり遂げない限りは終われないな、と。

2つ目は、子供のためです。
私は今、43(歳)なのですが、去年の9月に子供が生まれました。
普通であれば子供が生まれたらもうリスクはとれない、ってなるかと思いますが、私はまったくそうは思わず、逆のことを思いました。

子供が小学生になって、学校で「おまえのお父さん、何やってんの?」と聞かれたときに、胸を張って答えられるような父親でいたいと思ったんです。

インターネットリサーチで認知された平石としてこの先やっていくのと、
終わってない宿題をやるために、もう一度、創業から出発するのと、どっちが子供に胸を張れるかと考えたとき、私の場合は後者だったんです。

そうして、ドリームビジョンを創りました。

では、なぜドリームビジョンという会社を興したのか。

それは、日本人の価値観を変えたいと思ったからです。
一人一人が自分らしさ・自分の個性・自分のやりたいことを見つけて、それを追求していって欲しいからです。

そのことに関連して、個人的なエピソードを紹介したいと思います。

僕は、小学校の時に友達5~6人で、映画を見に行きました。

その帰りに、ラーメン屋に入ったんですね。
それで、当時のガキ大将風なやつが、最初に味噌ラーメンをたのんだんです。
そしたら、周りがみんな味噌ラーメンをたのみだして、最後に僕だけが「塩ラーメン」をたのみました。

そのとき、そのガキ大将風なやつが「なんでおまえだけ皆と同じものを食べないんだ?」
って言ったんですよ。
僕は、「どうして自分の小遣いで自分の好きなものを食べちゃいけないんだ」と言いました。

次の日、学校に行くと、僕は仲間はずれでした。
そのガキ大将が「平石と口を聞くな」と皆に言っていたからです。

僕はこのように、皆一緒でなくてはいけない、という価値観に納得がいきません。
本当に自分がしたいことをやるべきだと思います。
個々人が主体性をもつこと、自分らしさを大切にすることが大事だと思います。
本当に自分がやりたいことじゃないと本気になれないですし、成果も出せないでしょうから。

DreamVisionとしてやりたいことは、「皆さんが自分らしい生き方を“見つける”・“実現する”、お手伝いをしたい」ということです。

具体的には、お手元のパンフレット、または、当社ウェブサイトにございますので、そちらを御覧下さい。
簡単ではございますが、今回のセッションのご挨拶としまして、私の方からご挨拶させていただきました。

この後は、マネックス・ビーンズ・ホールディングスの松本さんにお話をしていただきます。