第7回 吉松 徹郎氏 – 法政大学MBAとの共同講座 2006/11/13 (1)

株式会社アイスタイル
代表取締役社長兼CEO
吉松 徹郎 氏

1972年8月13日生まれ。
1996年 東京理科大学基礎工学部生物工学科卒
1996年 アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)入社
1999年7月有限会社アイ・スタイルを設立、2000年4月株式会社アイスタイルに組織変更し、現在に至る。

アイスタイルの概要

写真:吉松 徹郎 氏

株式会社アイスタイルの吉松と申します。 今日はアイスタイルの紹介と設立に至った経緯、 そして今日までの軌跡というのをお話しさせて頂ければ、と思います。

アイスタイルはアットコスメを運営しておりますが、 アットコスメというサイトで皆さんご存知頂いているのが、 一番大きいかと思いますが、見て頂いたことのある方。 あ、ありがとうございます。それを前提にお話しさせてください。

アットコスメは化粧品に関する一番大きなコミュニティサイトです。 amazon.comの化粧品版だと思っていただければ、わかりやすいと思います。今会員が74万人で、月々買って頂いている方が160万人です。 女性雑誌の化粧品の大手などと言われるものが、大体10万部から20万部ですから、その10倍程度です。 一番売れてる女性雑誌のonnoとかcancamとか、あれでも60万部、70万部ですから、 女性に専門特化したメディアとしてはNo1です。

そのような中で一番特徴的なのは、 総クチコミ件数という商品のレビューです。 アイスタイルはあくまでそのデータベースをベースに、 企業様に対して分析をします。 そこの分析から、 コンサルティングマーケティングのお手伝いをさせて頂いている会社です。

それ以外に、このデータベースを中心にメーカーさん以外にも小売店さん、 ものを買う瞬間にクチコミが見られるような、 セールスプロモーションのお手伝いをしたりですとか、 ユーザーさんにダイレクトにEコマースをしたり。

化粧品に関わる様々なプロセスに対して、事業を展開しています。

大学卒業時の就職活動

吉松という人間がどういう人間かというのを含め、 なぜ化粧品なのか、 なぜコンサルティングなのかという点についてお話致します。

私は大学の就職活動のとき、私の周りではなかなか就職決まってない中で、私は比較的様々な企業から内定を頂いておりました。 しかし、私は、実は就職浪人をしました。

それはなぜかと申しますと、あるビール会社さんに行ったときのお話です。そこで「みなさん、これで我々は仲間です」、「一生これからここで何をするか考えてください」と言われたんです。 その瞬間にじわーって現実味が増してくるわけですね。

違うな、と。俺はこの会社に入ることが目的じゃなくて、 自分が何かをしたかったんだと。 これをいわゆる合コンに例えると、合コンでメールアドレスをもらって、 まだ2,3回しかデートしてないのに「結婚相手を決めろ」と言われてるようで結婚相手が決められない、どうしよう、 と言う具合に悩み始めました。

すると僕はもしかしたら「会社に入ろう」としていたのかもしれない。

それでは、もう一回自分が何をやりたいのか考えないといけないな、 と思い直しました。

そこから、「この時点で会社を選ぶことはやめよう」と考え、 急遽、就職浪人をしました。 そこで、2回目の就職活動では、高いモチベーションを持った人間はどこかにいるか、 と考えて当時はまだコンサルティング業界は、非常にマイナーな業界でしたが、コンサルティング業界を選びました。

そして、今で言うアクセンチュア、当時のアンダーセンコンサルティングという会社に入社しました。

アクセンチュアから起業へ

写真:吉松 徹郎 氏

アクセンチュアには96年に入社させて頂いて、 3年半お世話になりました。では何故アイスタイルを起業したのか。

これはもう非常にシンプルです。最初、アットコスメというビジネスモデルを考えました。 基本的には、ユーザーの消費者の声を集めて、それを企業にフォードバックしていくというものです。

当時の99年ぐらいはまだカカクコムもありません。 2ちゃんねるもありませんでした。 ユーザーさんの声の一元化をデータベースにする、 という仕組みはまだどこもやっていなかった。

当時はまだ1ページ70kにするのか80kにするのか、 いかに圧縮しやすいデータ、ホームページを作るのか、というのが 課題になっていました。しかし、私は「違う」と思いました。

最初からインターネット上に一元化して分析できる環境を作るんだ、 ということを最初考えました。

「新しいインターネットをやってインターネットを変えるんだ」 と思ったときにそのビジネスモデルを、 会社の上司に相談させて頂きました。 幸運にも上司には、「面白い」と言ってもらえました。

しかし、

「面白いけれども、それは誰からお金をもらうんだ? コンサルティング会社はA社、B社、C社がいたら、 A社がB社やC社に勝つために時間とコストをかけてお金を払うんだ。 B社もA社C社に勝つためにお金を払うんだ。おまえが考えたのは新しい業界コンソーシアムで、 新しい市場の仕組みなんだ。 それはコンサルティング業界では出来ないぞ。それをどこに提案しにいくんだ?」

と言われたときとに「確かに言う通りだ」と思いました。

そこでそれを前提にした、就職活動の時に思っていた、 「会社じゃなくて自分のやりたいことを探す」 という意味で自分のそれを出来る会社を探したら、当時はやはりなかったんです。 99年、ちょうど楽天さんができたのが96年で、 楽天市場を始めたのが98年とかですかね。ヤフーさんができたのは96年です。 そうすると、インターネットの世界で何か新しいものを作っていく、 という前提の会社ってどこもなかった。

しかし、そのような会社はなくともアイデアがある。 「アイデアがあるんだったら、仕方がない、会社を作るしかない」 と思い、アイスタイルという会社を作りました。

ネットバブルを乗り越えて

もともとこの事業はかなり初期投資の必要な事業で、 「いかに資金を集めるか」、という点に苦労していました。 そこに追い討ちをかけるように2000年頃、ネットバブルがはじけます。 それまでの状況をご説明するために光通信の例を出します。
実際にあったことですが、順番が普通に考えるのとは逆で 「1億円を1週間で用意します。いくら必要ですか?」、そのあとに、「何をやるんですか?」と聞いてくる、という時代でした。 「そうか、そんなものか」と思っていたんですけど、急に光ショックがあって、5月のゴールデンウィークのあけた後に、 急にみんなが話を聞いてくれなくなります。

本当に何も聞いてくれなくなった。

そうするとメンバーの中にも子供いるメンバーもいますから、 会社を離れていく者も出てきました。 「バブルがはじける瞬間っていうのはこういうことなのか」と思いました。 私はバブルを知らない世代ですから初めてでしたね。

でも、結果的には、あるエンジェルの人が救ってくれました。 話を聞きたいとのことでしたので、九州まで行きました。

1時間のミーティングの予定だったんですが、1時間が3時間になり、 3時間が5時間になり、8時間になり10時間になり、という具合に どんどん延長されていきました。

その人と会うときは時計をしちゃだめなんですね。 その人と会うとき時計なんか気にしたら失礼だから、 と言われて時計をはずされるんです。そこで会議室みたいなところに入れられで、 時間がまったくわからない中ミーティングをしていましたので、会議室を出て初めて12時間たっていたんだ、 とわかるようなミーティングでした。

その後、話をし終わって会議室から出るときに、 お盆に載った白いものが出てきて、 1億円って書いて小切手をピッって渡してくれたんです。だから、そこを出たときに僕の胸ポケットには、 1億円の小切手が入ってるわけです。 これで本当にうちの会社は救われました。夢のような出来事です。

その1億円を元手にして2年目以降、 初めてうちの会社は伸びていくことが出来た、と言えるかもしれません。

小切手なんて持ったことないので、 結局それをどう現金化したらいいのかわからないんですよね。

だから2日ぐらい僕の胸ポケットに入ったまま、 ずっと同じスーツ着ていて、「これどうしようか」と話していたくらいです。

当時、まだ99年や2000年ぐらいの話ですけど、 日本はやはりまだベンチャーの環境が整っていなかったんです。

直接金融という言葉もほとんどなかったわけですから。 結果的にたまたま出会ったエンジェルの人に救われて、

それから3年目、4年目と仕事を進めていきました。 自分達のやっていることは絶対間違いないんだ、 と信じながらの仕事でした。

カカクコムができたのが99年から2000年ぐらいでしたね。 まだ「消費者の声を集めてBtoCのコミュニティを作り、

それを収益化することなど絶対無理だ」と言われている中で、 絶対コレは可能性がある、と思っていました。

そこで、3年目、3億円の赤字モデルということではなくて、 きちんと黒字化しないと誰も信用してくれないので、 3年目に全部見直しをしました。結果的に新たなチームを再編成して、黒字化もさせました。 売上高は1年目0万で、2年目1億1千万で、翌2億2千万です。利益の方は、1年目は4000万の赤字、 2年目は8000万の赤字ですけれども、 ようやく3年目で初めて500万の黒字になりました。