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小栗充博
東京大学教養学部在籍
2003年にアフリカに拠点を置くNGO、ADEOにインターンとして参加。以来、日本支部のアデオジャパンのメンバーとして、日本ならびにアフリカ現地にて、『世界エイズデー』を初めとした様々なイベントの企画およびイベントへの参加、さらには、複数のNPO法人と交流を持ちアフリカの地域開発プロジェクトに従事。また、自身の知見や経験に基づき、アフリカの諸問題や国際協力等をテーマとして多くの執筆や講演を手がける。
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大統領選挙後の混乱発生
2007年12月27日、ケニアでは大統領選挙が実施された。
開票は同30日までずれ込んだのち、中間発表の内容とは裏腹に、現職キバキ大統領が対抗馬のオディンガ氏を破って勝利(同時開催の国会議員選挙は野党
ODM(文末『用語集/参考情報』の1を参照)の大幅な議席獲得に終わる)。
大方の予想を覆す逆転勝利の発表直後から首都ナイロビをはじめ、各地で暴動が発生。レイプや暴力事件が多発し、一時国が分断されるほどの混乱が起こり、ケニアに滞在する多くの日本人も未曾有の事態に一時出国を余儀なくされるほどであった。世界中が見守る中、約2カ月後に両陣営の間で和平合意が締結、2008年4月には対立候補オディンガ氏を首相に据えた新内閣の発足が宣言された。1,000人を超える死者と、15万人を超える避難民の発生は今
なお大きな傷跡をケニアに残している。
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キバキとライラ
現職のキバキ大統領(左)と、対立候補のオディンガ氏(右)。2008年キバキ政権には政策への失望からか貧困層を中心に強い不満があり、都市部を中心にオディンガ氏を支持する流れが強かった。混乱の背景には、一部の政治家による若者たちの扇動があったとも噂されている。
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消えぬ憎悪
今回のケニア滞在で、私はケニア第三の都市キスムを訪れた。野党ODMの大統領候補のR・オディンガが属するルオの人々が多く居住する地域の中心都市であり、選挙後の暴動が非常に激しかった地域でもある。
余談ではあるが、アメリカ大統領候補のオバマ氏の父親はこのルオ族の出身で、この地域にはオバマ一家と親戚関係のある人も多く住む。オバマ氏の似顔絵が描 かれたミニバスや、「Obama」と書かれたTシャツを着た人、オバマ氏の写真があしらわれた時計など、そこらじゅうで「オバマ」に遭遇する。もし11月 の大統領選挙でオバマ氏が敗北したら、再びこの地域で暴動が起こるのではないかと警戒する人がいるほどだ。
キスムではオディンガ氏の敗北を伝えるニュースが流れた後、キスムに住むキクユ人をターゲットにした襲撃やリンチなどが勃発した。この混乱の中でキクユ人 の所有する建物が、放火され全焼する事件も多発。選挙から10ヶ月経過した今も、市内中心部で丸焦げになったままの建物を見ることができた。暴動から逃れるために別の都市や隣国へ避難した建物の所有者が、暴力を恐れていまだに帰ってきてはないという。彼らの一部は
、国内避難民(IDP)として、いまだに地方都市近郊で仮設キャンプでの生活を余儀なくされている。
(文末『用語集/参考情報』の2を参照)
キスム市内の各所で、暴動時に書かれたと思われる落書きが目についた。「KIBAKI TENA(またキバキか)」、「KIBAKI TOSHA(もうキバキは充分だ)」とスプレー缶で壁や看板、はたまたバス停などに書かれている。
「あれはお金をもらってやっている」と一緒にいた友人は教えてくれた。
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落書きされた看板
ルオの人々が多く住む地方都市キスムで見つけた「KIBAKI TENA(またキバキか!)」とスプレー缶で落書きされた看板。市内の至るところで同様の落書きを目にした。一部の建物は未だに焼かれて丸焦げになったままで、暴動の激しさを物語っていた。 |
友人の発言の真偽はともかく、多くの人が今回の暴動は、一部の人間の仕掛けた扇動工作によって激化したと考えている。事実、地元の新聞やBBCでも、暴徒化した若者グループへ政治家の関与を伝えるニュースが伝えられている。
このような扇動と平行して、今回の暴動はケニアに46あるといわれる「
トライブ(部族)」
(文末『用語集/参考情報』の3を参照)間に相互不信と憎悪を生み出した。特に様々なトライブが混在するナイロビのスラムでは、長い間仲良く生活していた隣人を襲うなどの事件が頻発した。このような対立と混乱は全国各地に派生した。
背景にある要因とは
今回大統領選挙後の混乱が「民族衝突」という悲劇にまで至った背景には、他のアフリカ諸国でも共通に見られる2つの側面を見て取ることができる。
すなわち、①植民地の宗主国からの独立以来抱えている複雑な土地を巡る問題(「タテ」のストーリー)、②現代の経済グローバル化の進展によって拡大する経済格差を巡る問題(「ヨコ」のストーリー)、 の2つである。
植民地支配と土地をめぐる問題
古代ローマの「分割統治」という植民地の統治方法をご存知だろうか。
外来の支配者にとって、征服地の統治を効率的に進めるためには、その地の人々を人種、宗教、言葉、文化といった違いにより複数のグループに分断し、一部の集団を優遇したり、もしくは集団間で支配-被支配関係を作り出すことで、人々の一致団結を妨げ、征服者への抵抗運動の発生を抑えるというものである。およそこの方法論に似た形で、アフリカ諸地域での植民地運営がなされていた。「トライブ(部族)」というエスニックグループを造り出し、それがあたかも自明のものであったかのように確定する作業を伴いながら行われたのだ。この時期に植民地政府および支配層が、一部のトライブによって占められたことは、諸国の独立時にも、大きな影響を及ぼすことになる。
1963年に独立したケニアでは、旧宗主国イギリスが所有していた土地が独立政府により再分配された際に、それらの土地が政府に多数を占めるキクユ人の人々の手に渡り、元々植民地以前から居住していた他のトライブグループの手には戻らなかった。それに端を発した長年にわたる土地を巡る問題が、今回の暴動時に再燃したといえる。
格差社会の進展
もう一点、貧富の差の拡大と若者の失業問題というグローバルな問題が今回の暴動に大きく影響していると考えられる。数字から先に見てみたい。
ケニアの現在の失業率は、40%といわれている。米CIAのデータによれば、世界199カ国中184番目に悪い失業率である(
CIA The World Factbookより)。
特に近年の若者の失業問題は大きな社会問題になりつつある。ケニア国内の15-64歳の労働人口は全人口の55%を占める。そのうち40%のおよそ830万人が失業状態にあるのだ。15-29歳の人口がケニアの全人口の30%の約1,000万人(
U.S. Census Bureau, International Data Base より)と、若者の全人口に占める割合が高い人口ピラミッドを見ても、可能性をもった若者の多くが職につけない実態が浮かび上がってくる。
日本のニート人口がおよそ64万人(2004年)(労働経済白書
平成17年版 労働経済の分析 より)と試算されていることと比較してみると、その規模の大きさがわかるかと思う。
※ケニアでは、女性1人につき平均4.7人の子供を出産する(日本では1.22人)。また1,000人につき平均56人の幼児が1歳になる前に亡くなる(日 本では2.8人)。典型的な多産多死のモデルをとっているが、最近の医療サービスの向上や都市化の進展から、少産少死の方向へ向かうと予想されている。現 在の15歳以下の世代の人口が今後50年はもっとも人口がベビーブーム世代となる可能性が高い。
大学を卒業してもフリーター状態
国内でもジョモ・ケニヤッタ大学に通う大学生に話を聞けば、最近では大学を卒業していても定職につけない学生が続出しているという。(卒業後、レストランやバーでウェイター/ウェイトレスといったアルバイトをしながら職を探す人も多い) 大学に通うことのできる子供の割合は10%と非常に少ない。高い志をもって大学に入っても、その後日本のフリーターと同様の生活を余儀なくされる。大学にも行けない他の多くの若者においては、状況はより一層深刻だ。前回言及したように、高い成長率を維持しながら、都市の産業は発展し、富裕層を生み出している一方で、若者を中心に多くの失業者には先の見えない不安感と、都市の発展の恩恵に授かれない不満が鬱積していく。
世界銀行の調査によれば、ケニアでの所得分布の不平等さ、つまり国内の経済格差をはかる
ジニ係数は0.425(1997年)となっている
(文末『用語集/参考情報』の4を参照)。所得上位20%の人々が全所得の約50%を占めている計算だ。日々体感する明らかな格差を背景に、ちょっとしたきっかけで暴発してしまうぐらい蓄積した負のエネルギーと、利権を求める一部の政治家の思惑が交錯したところに今回の大規模な暴動激化を位置づけることができるのではないだろうか。
駐日ケニア全権大使、デニス・アウォリ氏は言う、「5年後の大統領選挙でも、同様の衝突は起きる可能性は否めない。ただ、多くの若者が雇用機会を得ることができれば、誰もこんな暴力に参加しようなんて思わないはずだ」。
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床屋 Patty
ナイロビから遠く離れたブシアという小都市にて。
自ら「Kinyonzi(スワヒリ語で床屋)」を営むPatrick。
地方の若者の失業問題も非常に深刻な中、彼のように自ら小さいビジネスを始める若者も多い。2年ぶりに会ったけれど、変わらず元気な彼の姿を見てとてもうれしい気持ちになった。
「Jaribu tu (日々なんとかがんばってるよ)」そういう彼の笑顔が大好きだ。 |
南アフリカでの移民排斥
ケニアでの大統領選挙後の混乱に前後して、アフリカで最も成長が著しいといわれる大国、南アフリカ共和国でも、外国人移民の排斥運動が全国的に広がりを見せて大きな社会問題となった。2010年のワールドカップの開催に向けて、急速に成長を続けいまやアフリカ大陸南部から中央部にかけて広範に影響を与える南ア経済ではあるが、国内では0.578(2000年)という高いジニ係数が示す通り、富の不平等な分布が際立っている(
World Bank World Development Indicator 2005 より)。 行き場を失った負のエネルギーは、部族/民族、国籍の違いを理由に攻撃対象を見つけては、暴力として発現される。
ケニアでの一連の混乱は、決して「部族(民族)間対立」として片付けられる地域的な問題ではなく、むしろ日本国内含め、世界が至る所で目撃している現代的な現象の1つとして捉えることができる。
「未開の地・アフリカ」というフィクションから離れて、同じ問題を共有する世界の1つの地域とし、そして「助けが必要な地・アフリカ」ではなく「雇用創出」が大きな変化を生み出し得る高い潜在力をもった新興市場としてアフリカ地域を見る視点が、今求められているのではなかろうか。
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バイクに乗るDennis
保険のセールスマンをやめてNGOスタッフとして働くDennis
多くのケニア人にとって、官庁、企業、NGOの3つはそれぞれ大きな雇用先となっている。日本でのイメージとはずいぶん異なるが、NGOもそれなりの給料を手に入れることのできる就職先としてみなされている。 |
用語集/参考情報
1.オレンジ民主運動(ODM)は、ケニアの政党の1つ。2005年に開かれた憲法改正国民投票(大統領の権限強化が争点であった。)の結果、憲法案の反対派により結成された。オレンジという色は、投票用紙に由来する。
(ケニアでは、投票の際、賛成の場合はバナナ、反対の場合はオレンジに印をつける。)
国民投票の結果、憲法改正案は否決され、その後今回の選挙へ至るまで、ODMが国民の支持を伸ばしていった。
2.IDPとは、Internally Displaced People(国内避難民) の略。国連口頭難民弁務官事務所(UNHCR)の定義によると「国内避難民とは、安全のために故郷を逃れたが、国際的に認識されている国境を越えていない人々のことである。ノルウェー難民議会の国際難民監視センターによると、2006 年末時点で、紛争と関連した国内避難民は世界中で2450万人であると推定されている。」(
UNHCR駐日事務所ウェブサイト より)
3. アフリカ諸地域では、
トライブというエスニックグループが国境線とは対応しない形で存在している。日本語ではこれまで「部族」という訳語があてられているが、語が「未開・野蛮」のようなニュアンスを含み使用されていることで批判も多く、筆者は「エスニックグループ」という中立的な表現で認識している。また文中にもあるが、「トライブ」それ自体も植民地時代に旧宗主国によって確定されたものが多い。
ケニアの場合、それぞれのトライブは、共通語のスワヒリ語・英語とは別の体系のトライブ言語(「母語」と呼ばれる)を持っており、筆者の知る限り大多数の一般成人は最低3つの言語を操る。
4. ジニ係数とは、所得格差を測る(所得水準を評価する)代表的な指標である。ジニ係数は、0から1の間の値を取り、0に近ければ近いほど格差が少なく、0の場合は所得差が無い状態を表す。