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第2回 法政大学MBAとの共同講座 2006/8/28

学生時代 ~私を変えた言葉~

小室 淑恵氏

皆さんこんばんは。今日は自分らしい生き方ということで 私自身の経験っていうところから、まずお話をさせて頂ければと思います。 私は今は仕事と育児は当然両立できるもの、両立というのを違和感を感じるぐら い、一緒にできるものだという風に思っています。 けれども、実は大学3年まで全然そんなことは考えていませんでした。 ある授業で大半は民主主義の話だったので、全く覚えていないのですが、 最後の最後に、ある先生のおっしゃった言葉が私を変えました。


「あなたたち女子大に通っている女子大生は女子大出身は就職に不利だと思っているでしょう。これから、働いて子育てする女性が増えてくると、その人たち向けの商品を作るために、そういう人たちを社員として持たなければ視点が入らないっていう状態になってくるのよ。その視野を求めているから女性を積極的に採用するのよ」と。


それで、「あなたたち女子大だから、きっと女性同士のネットワークが強いわ。だから、これから会社に入ると、違う企業間でコラボレーションなどもして非常に面白いと思うわ」って言われたんです。 私はそのときにすごく、驚きました。 私は不利だと思っていたから、努力しないように、そこに期待をしないようにしてきたんですが、むしろ有利なら、何でそこに乗り出していかないんだろう、私だって、活躍できるかもしれないのに、と思ったんです。


そこで、そのときすごく自分を認めたくなったんです。
でも私は大学3年間全然勉強してこなかった。こんな私が急に仕事に本気になったからといって、ほとんど職はないだろうなということはすぐにわかった。


そこで「何かしたい、人生を変えたい、人生を変えるならアメリカかな?」って思ったんです。
それはもう私の単純さゆえなんですけれども、本とか読むとアメリカに行くと人生は変わるって書いてあるじゃない、と思って、その日家に帰って「お母さん、私アメリカにいくわ」みたいな話をしたんです。

アメリカでの生活

結局アメリカに渡ったんですが、アメリカでは3ヶ月でお金が尽きたんです。ここで帰ったら何もなかったと一緒だ。

この3ヶ月で私は何も上達していない。なんとか一年休学したんだから、一年はいたい。でも、お金はない。

どうしようと思ったときに、私はそもそも、子供が好きで、ベビーシッターのアルバイトなども日本でしていたので、ベビーシッターは万国共通だから出来るの ではと思って、スーパーの掲示板に「寝床とご飯を提供してくれたら無料でベビーシッターをします」っていう、そういう張り紙をたくさん貼ってきました。


そういう風に張り紙をはってきたら、あるシングルマザーの女性が私を雇ってくれて、住み込みで彼女の子供の面倒を見ることになったんです。 それで、私が日本に帰るときに、彼女も職場復帰をしていったんです。職場に復帰をするときに、「私、昇格するのよ」って言われたんです。2年間育児休業とっていて、スキルブランクが2年あるのに、どうして昇格するの?何で給料も上がるの?ってすごく驚いたんです。 そしたら、すごく笑われて。育児休業がスキルブランクになった時代っていうのは確かにアメリカにも過去にあった。


でも、今はインターネットがあるじゃないって言ったんです。
西海岸のサンディエゴにいたんですけれども、それはアメリカの西海岸から東海岸のニューヨークの大学に夜中になるとアクセスをして。
年2回ぐらいニューヨークの大学に行かなくちゃいけないんですけど、e-learningで、2つ資格を取ってしまったんです。 「もともといた職種で、 その2つの資格さえあれば昇格できるんだけれども、なかなか仕事をしていると勉強するっていうことが出来なかった。
それが、育児休業中にやっと叶ったのよ。今インターネットがあるから、それはどんな育児休業者にも可能でしょ」と言われたんです。 私が、「育児休業=スキルブランクだと思っていた」っていったら、「ブランクどころかブラシュアップの期間よ、自分を磨き上げる期間よ」って言われました。私にはそのセンテンスがすごく輝いてみえてブランクじゃなくって、ブラシュアップなんだ。何で日本はこういう風に捉えられないんだろう、ネガティブに捉えている。


企業と、本人もすごく肩身が狭く、すみません、という姿勢ですごく躊躇している関係。そこを脱すれば日本にとっても、ものすごくプラスになるんじゃないかな、この考えだけでも日本に持って帰っていきたいっていう風に、本当に強く思ったんです。

自分のやるべきことというか、人生の軸みたいなものが見つかったので、語学は全然進歩しなくっても、一年間、何してたの?って言われてしまう大学5年になってしまって、それでも行ってよかった、自分の既成概念を壊す経験ができて良かったなっていう風に思っていました。

ですから留学ではなくアメリカ放浪と書いてあるのがその一年でした。


就職活動とネットエイジでのインターン

                                                                     

小室 淑恵氏帰国して就職活動をして、3社最後内定をもらったときに資生堂にした決め手というのがあります。

実は3社もらった中でも、資生堂は私の希望順位は3番目だったんですよ。ですけれども、私が受けた企業は、 面接を受けていて女性がたまに出てくるんですけれども、 出てくる人出てくる人が男性化した女性だったんです。


こうなりたいんじゃないっていう気持ちが、職位が上がれば上がるほど、 どんどん強くなっていって、 面接をするたびするたびに気持ちが落ちていったんです。 一方、資生堂の場合には、面接を受ければ受けるほど、 女性としてしなやかで、女性らしいまま、 職位をきっちり持っている方が出てきて、


「女性もきっちり仕事をしていける会社って素晴らしいな」


って思ってだんだん気持ちが揺らいでいったんです。

私はそういった理由で、どちらかというと最初は印象の良くなかった資生堂に行きました。 内定をもらってからも、大学4年の初めで内定をもらったので、あと一年あると。 その一年でどうしようかと思ったときに私はインターンをしようと思いました。


検索して、エティックというNPO法人と出会って、 そこの紹介でネットエイジという会社でインターンをしました。 実はネットエイジは今はすごく立派な会社になっていますけど、 当時は4畳半に、社長と私とSEが二人という状態で仕事をしていたんです。


本当にできて2ヶ月のところで仕事に行ったので、 本当に会社を一から立ち上げるという仕事を一緒にさせて頂きました。 詳細は長くなるので割愛させていただきますが、 そこでの経験って言うのが、私にとっては本当に重要な経験になって、 資生堂に入った後にもずっとベンチャーマインドで仕事をしてきております。


資生堂での新規事業立ち上げ

資生堂へ入った後ですけれども、2年目のときにちょうど私が、 ネットベンチャーで一緒に仕事をしていたような仲間たちがどんどん起業し始めたんです。 いわゆるビットバレーのころです。 そのときちょうど社内で、ビジネスモデルコンテストがあったんですが、 入社2年目って言うのはそういうのは出すものじゃないっていう 暗黙の了解があったみたいなんですけれども、 そういうのを感知するような繊細さがなくって、出したんです。


プレゼンして勝ち抜いていく形式なんですけれども、 グランプリは最初から2人しかいなかった女性が選ばれたんです。 そこで私は、すごく入社年だとか男女だとかそういうのにこだわらずに、 純粋にビジネスモデルを見て選んでくれるというところに、 資生堂の経営陣にはすごく信頼を置きました。


なぜその2件を選んだかというとき、 最後に福原会長がコメントをしたのが面白かったんですが、
「今回は資生堂のビジネス領域を超えるようなものを提案しなさいって言ったはずです。 ところが大半はどうしても資生堂のビジネス領域の中で横展開しているようなものが非常に多かったのです。 でも、この2件は突き抜けたところに持ってきたので、この2件がお題にかなっていました」って言われたのが印象に残っています。


そのビジネスモデルを実際に立ち上げたら、また苦難がありました。 いわゆるアパート一室でやっていたベンチャーと提携をして、 アウトソーシングをしながら一緒に作っていくっていう形にしたのですが、 予定期間通りに事業を立ち上げて、外部に販売を始めても、今度は外に売れない。 一年間ぐらい箸にも棒にもかからない状態になってしまって。

ビジネスモデルを一言でいうと育児休業中にe-learningができてスキルアップして戻れるという、 育児休業者の復帰の支援をするプログラムっていうものだったんですけれども、 これを売りにいくと必ず言われたのが、
「あのね、お嬢ちゃん今リストラしてるんだよ。知ってる?」
っていう言葉でした。


リストラして福利厚生費持っていかれてるのに、 だれが育児休業者のフォローをするんだ。
そういうことをやるのは女性に商品を売っている資生堂がPRをするっていうそのぐらいだ。
普通の企業は真面目にやらないよそんなこと、っていう風に言われました。


それは今CSRとかで有名な大企業に言われたんです。 本当に今労働大臣賞とかそういう賞とかもらっている企業に 当時はむしろ女性を減らそうと思ってるからとか真顔で私は言われて。 でも、自分でなぜこれにニーズがあるかっていうことを 一時間語って帰ってくるっていうのを一年間続けました。


実際に導入をした企業が口コミで広めてくださり、 2004年ぐらいからやっと本気で企業も導入に力を入れ始めたようです。 ですから、ウーマンオブザイヤーを頂いたときはまだまだ赤字で、 普通はウーマンオブザイヤーって年商何億になった女性を表彰するものなんで、 その時はたいそう肩身が狭かったんです。


でも、女性のキャリアに対して画期的な仕組みを作ったっていうところを評価して頂いて、 キャリアクリエイト部門で頂いてしまいました。 2005年になってやっと黒字になり、本社まで導入という形になって、 それを見届けて私は資生堂を退職しました。


出産を経て

小室 淑恵氏

実は、退職しますって上司に言った次の日に、昼ごはんを食べたら、 気持ち悪くなって自分が妊娠していることを知ったんです。


実際に自分で出産をしてみると、24時間見ていたいぐらいかわいいですね。 で、この息子をおいてまでする仕事って何だろうって思ったときに、 自分の仕事、自分の一番やりたいことをやらないとな、と思いまして、 自分が会社を立ち上げるに至りました。


今回私が立ち上げた新しい会社なんですけれども、 armoという仕組みをつくりました。 これは私がwiwiwを営業しながら、常に課題と思っていたものを さらに盛り込んでつくったというものです。


Learning、情報提供、さらに復帰サポートですね。 armoを使って、復帰した後に、ベビーシッターとか託児所を探すお手伝いをしたり、 ベビーシッターを会社で提供したり、子供が病気になったとき、 病児保育も紹介したりと復帰後の困ったときに対応する。


それから、これも企業に提案していったときに非常にニーズがあったんですけれども、 いま男性の休業者もどんどん増えていて、 男性でも介護の休業者が非常に増えてきている。 それから、うつ病に関する休業者も、増えてきている。
育児休業を切り口として、いろんな制約を抱えた人がその制約を抱えながらも、 能力を発揮できるように提案していくのがarmoの新しい仕組みです。


非常に画期的なものなので是非ご紹介したいんですけれども、 企業内託児所というのが今、非常にニーズがあるんです。 この導入コンサルティングもしています。

そのなかで今までは企業内託児所というのをつくると 非常にコストがかさんで赤字化してしまっていました。 そこで、一部の社員のためにそんな金額は出せない。

これはある会社のケースなのですが、 場所は提供するんですけれども、それは企業専用の託児所ではなく、 東京都の認証保育所にするというかたちで、地域にオープンにするんです。 するとその企業は毎月家賃収入が出ます。 今までは赤字が出ていた話が、これが逆に収入がある。 それから、東京都の認証保育所になると運営費も楽になりますので、 長い目で見ると必ず黒字が出ると。

自分の所の社員の子供も預かってもらうけれども、 地域の子供も受け入れるっていう形で、地域へのCSRもできる。
運営はプロの会社にやってもらう。

お互いにwin-winのパターンっていうのが、可能なんです。


以上のような形で、今の私の働き方っていうのをメッセージで言うと、
「家庭の充実は仕事の充実」。


そして「企業が活性化すれば個人の生活も活性化する」という形で、 社会のスパイラル、いいスパイラルを今後は一緒に作り上げていきたい、 そういう仕事をしています。






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PROFILE

株式会社ワーク・ライフバランス
代表取締役社長
小室 淑恵 氏


1975年生まれ。
99年(株)資生堂入社後、翌年社内のビジネスモデルコンテストで優勝し、1年という異例の速さで本社経営企画室IT戦略担当に抜擢。
同社の経営企画・経営改革を進める傍ら、女性が働きやすい社会を実現するために育児休業者の職場復帰支援サービス新規事業、wiwiw(ウィウィ)を立ち上げ社内起業家として社内外から脚光を浴びる。
「育児休業期間をブランクからブラッシュアップの期間にしたい」と、その普及に努め、 同プログラムは現在約100社が導入、多くの反響を呼び、多数のメディアで取り上げられる。 日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2004・キャリアクリエイト部門受賞。 2005年9月に資生堂を退社。
2006年4月第1子出産、現在は㈱ワーク・ライフバランスを立ち上げ、代表取締役社長を務める。産後3週間で職場復帰し、経営者として活躍しながら、育児にも忙しい毎日を過ごしているが「以前にも増して仕事も家庭もうまくいくようになった」と語る。

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